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ゲームボーイ 消えた後継者




■幻となった次世代ゲームボーイ(1995年)

ときどき、ポケモン発売前のゲームボーイは影が薄くなっていた、だから任天堂は次世代機を考えていなかった、というようなことを言われることがありますが、これは間違いです。初代ゲームボーイは日本以上に海外でよく売れた商品で、年商は1000億円にも達するほどのヒット商品でした。ソフト市場を含めると当然それ以上になるわけで、次世代機をまったく考えないほうが不自然だったといえるわけです。

2009年に開かれたGDC(ゲーム開発会議)で、ニンテンドーDSiのプロジェクトリーダーを務めた桑原雅人氏が「日の目をみなかったゲームボーイ/DS後継機」を紹介しました。このプレゼンテーションによって、1995年にはすでに次世代ゲームボーイの開発が進められていたことが明らかになっています。

このとき公開された写真によると、幻となった次世代ゲームボーイは縦型の筐体で、メインのアクションボタンは4つあることが判ります。また、横に並べられたニンテンドーDSiと比較すると、初代ゲームボーイよりも少し大きいくらいのサイズのようです。

海外では、1996年に「プロジェクト・アトランティス」という次世代ゲームボーイの存在がリークされたことがありますが、この試作機が「プロジェクト・アトランティス」にあたるものだと考えて間違いないでしょう。桑原氏によると「1996年に発売を予定していた」とのことなので、時期もほぼ合致します。当時のリーク情報によると、この次世代ゲームボーイは32ビットのCPUを搭載しており、ゲームソフトとしては「Mario’s Castle(マリオの城)」が制作されていたとのこと。

結局、この次世代ゲームボーイはポケットモンスターの大ヒットにより企画ごとなくなって、2001年に(現在知られているような)ゲームボーイアドバンスが次世代機として発売されました。

ポケモンの大ヒットとゲームボーイの復活によって、ゲームは単純に高性能化・複雑化するだけが正解ではないということを、任天堂は明確に意識するようになります。ゲームボーイアドバンスではメインのアクションボタンを2つだけにして、ゲームキューブのコントローラーでは(まずはこれだけで遊べることを強調するために)Aボタンだけを大きくする工夫をしました。このような思想が、その後のニンテンドーDSやWiiのヒットにも繋がることになりました。


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