> ゲームボーイの歴史

ゲームボーイブロス誕生秘話



●ゲームボーイの弟

新型のゲーム機を購入するとき、好きな「色」の本体を選べることは今でこそ当たり前ですが、それも初めから普通だったわけではありません。1989年に発売された時、ゲームボーイの色はグレーしかありませんでした。

任天堂のゲーム機で初めて「本体の色を選べる」というコンセプトで登場したのが、1994年の「ゲームボーイブロス」です。これはコピーライター糸井重里氏の発案から生まれた商品でした。任天堂内でも「ゲームボーイの本体の色を変える」というアイディアは以前からあったのですが、なかなかGOサインがでず、企画を諦めかけていたところにタイミングよく糸井重里氏の発案があったそうです。

さかのぼれば、糸井重里氏と任天堂の関係は1989年に発売された「マザー」の企画から始まっています。その続編である「マザー2」が完成した1994年に、ゲームボーイブロスも発売されました。その繋がりもあってか、マザー2のCMに起用されていたSMAPの木村拓哉氏(キムタク)が、ゲームボーイブロスのCMにも出演しています。

ゲームボーイブロスのCMは、本体購入と同時にキムタクとおそろいのバンダナが貰えるキャンペーンも実施され、話題をよびます。6種類あるカラーのうち、木村拓哉氏がCMで使っていた「グリーン」がもっとも売れた色となりました。これ以降、ゲーム機の色を選べるということが受け入れられ、1996年発売のゲームボーイポケットでは発売日から多色展開するようになりました。

ちなみにゲームボーイポケットでも、もっとも売れた色は「グリーン」だったと記録されてます。


糸井:思えば、ゲームボーイの色が増えたのって、歴史的な転換点だったよね。
倉恒:そう、あそこですよ。
糸井:ねー。
糸井:開発チームはとっくにそんなこと考えてたんだけど、
   GOサイン出ないままで、あきらめようと思ったとこだったんだよね。
(ほぼ日刊イトイ新聞「ゲームボーイアドバンス・デザイン座談会」より)


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