> ゲームボーイの歴史

携帯電話とゲームボーイ


 

2001年にモバイルアダプタGBが発売されるまでの、ゲームボーイと携帯電話の関係まとめ。






■携帯電話の急速な進化とゲームボーイの登場(1989年)



日本で初めて登場した携帯型電話は、1985年9月にレンタルが開始された「ショルダーホン」です。これはまだ携帯電話というより可搬型無線電話という扱いで、重量は3kgもあり、肩掛けカバンのような形をしていました。古い映画では警察や調査官がこれを使っている姿を見ることができます(映画「マルサの女」など)。

1987年になると、重さは900gあるもののハンディタイプの電話機が登場して、ここから「携帯電話」という名称が定着します。さらなる転換期となったのが1989年で、世界最超・最軽量の超小型携帯電話「マイクロタックHP-501」がDDIセルラーグループから発表。同業界に大きな衝撃を与えました。

  

任天堂から「ゲームボーイ」が発売されたのも、この1989年のこと。ゲームボーイとマイクロタックの重量を比較してみると、ゲームボーイは4本の乾電池を含めて300g、携帯電話のマイクロタックは303gと、ほぼ同じ重さでした。しかし、決定的にちがっていたのが価格です。ゲームボーイは12500円で購入可能でしたが、携帯電話は工事負担金・保証金・基本料金などで合計20~30万円の初期費用がかかりました。さらに通話料金が別途必要で、売り切りではなくレンタル契約式でした。

この時代、ゲームボーイがなんとか子供にも手の届く玩具だったことに対して、携帯電話は持つことが大人のステータスとなるような高級品だったのです。

1989年時点では、携帯電話と携帯ゲーム機が比較されることはほとんどありませんでした。初代ゲームボーイはどちらかといえばSONYのウォークマンに近いとみなされる商品だったのです。しかし、時代が進んでいくと「携帯ゲーム機」と「携帯電話」の存在はどんどん身近になっていき、影響を与えることや比較されることも多くなっていきます。




■携帯電話から着想を得たゲームボーイポケット(1996年)


1990年以降、携帯電話は急速に小型化がすすみ、一般に普及していきます。とくに大きな転機となったのが1994年で、それまでのレンタル制だったのが売り切り制へと移行しました。これによって自由競争が激しくなり、初期費用、回線料金が大幅に値下げされました。

一方、ゲームボーイは同年に本体のカラーバリエーションである「ゲームボーイブロス」を発売しています。本体の色を好きにえらべる多色展開は、携帯電話よりも携帯ゲーム機のほうが早く実現しました。1994年はすでに次世代ゲーム機が発表されていた時期なので、影が薄くなっていたゲームボーイをアピールする意味もありました。

 

1996年になると「ゲームボーイポケット」が任天堂から発売されます。ゲームボーイを軽少化・スリム化したものですが、これは携帯電話の影響をうけて生まれた商品でした。

「私の知り合いが携帯電話を買いましてね。理由を聞いたら『以前は大きくて嫌だったけど、ここまで小さくなったから』と言ったんですね。ですから、ゲームボーイを小さくすれば、新たなユーザーが増えるのではないだろうか。内ポケットに入るサイズになれば、大人でも旅行に持っていこうかなという気になりますからね」
(ゲームボーイ開発責任者・横井軍平)


総務省が発表しているデータによると、携帯電話の契約数は94年から95年のあいだに1000万件を突破。そして96年から毎年1000万件のペースで増加しており、急速な普及がはじまったことがわかります。開発者がいちはやく流行をつかんだことが、ゲームボーイポケットのヒット要因となりました。。

 
 出典:総務省「電気通信サービス契約数及びシェアに関する四半期データの公表」及び電気通信事業者協会資料により作成
 http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h27/html/nc111220.html




■iモードの登場、モバイルアダプタGBの発表(1999年)


1996年以降、携帯電話の契約数はぐんぐん上昇していました。固定電話とちがって家族ではなく個人で所有することもあり、ユーザー数は右肩上がりで増加。大人だけでなく、学生が持つことも珍しくなくなっていきます。また、ゲームボーイもポケモンの登場によって人気が復活したことで、普及台数をそれまで以上の勢いで伸ばしはじめました。

この時期に、携帯電話はどんどん多機能化が進んでいきました。用途がもはや電話に限らないことから、呼び方も「携帯電話」から「ケータイ」へと変化します。携帯電話に搭載されたいくつかの機能はゲームボーイにも影響や関係がありました(詳しくは後述)。

1998年にはゲームボーイがカラー液晶となって話題となりましたが、1999年になると携帯電話にも液晶画面が搭載されるようになります。それまでの携帯電話は英数字を数行表示するくらいの機能しかなかったのですが、モノクロの液晶が搭載されるようになって、ほとんど間をおかずカラー画面へ移行します。

携帯電話に液晶画面が搭載されることとなった一番の理由は、ドコモが発表した「iモード」にありました。これによって1999年2月から世界初の携帯電話によるインターネットサービスが提供されるようになったのです。

  iモードのドラゴンクエスト

iモードの登場はゲーム業界にとっても大きな出来事となりました。2000年4月前後には、エニックス、コナミ、ナムコなど大手ゲームメーカーがiモードに参入してゲームコンテンツを提供しはじめます。当時のデータ送信速度は、1秒間に9.6KBit(cdmaOneは14.4kBit)と遅く、ほとんど簡易的なミニゲームしか遊べないうえに、パケット料金も高かったのですが、サービス加入者はメーカーの予想を超えて増加しました。

1999年9月に、任天堂はゲームボーイの次世代機であるゲームボーイアドバンスの開発を発表。それと同時に「ゲームボーイカラーと携帯電話を繋ぐ専用アダプタを発売する」ことを告知します。これは後に「モバイルアダプタGB」と呼ばれる商品になります。さらに任天堂はコナミと提携して、通信ソフトやアドバンスのゲームを開発していくための合併会社「モバイル21」の設立を宣言しました。

1999年は、携帯電話がゲーム業界に近づき、同時にゲーム業界も携帯電話に近づいた時期だったといえます。1999年末、携帯電話の契約数は5000万台を突破しており、一方のゲームボーイは出荷が据置型ゲーム機全体を上回るという好調ぶりでした。どちらも互いに接近するだけの注目度と勢いがあったのです。




■未発売となった携帯電話と一体型のゲームボーイ(2000~2001年)


1999年9月以降、任天堂はゲームボーイアドバンスの新たな情報をほとんどリリースしませんでしたが、2000年3月に驚くべき発表を行いました。来年を目途に「携帯電話と合体させたゲームボーイ」を発売するというのです。

これは朝日新聞の取材に任天堂社長が答える形で明らかになり、他雑誌でも大きく取り上げられました。単体で発売するゲームボーイアドバンスとは別に、携帯電話一体型のゲームボーイを発売するプロジェクトが任天堂内で進行していると記事内で語られています。任天堂の広報は「将来的にインフラが整えば、ゲームソフトを携帯電話からダウンロードすることもできるでしょうね」と展望を述べました。

2001年に実際に特許申請されていた「携帯電話と合体させたゲームボーイ」が下の図です。


  


この機器はフィンランドの携帯電話メーカーNOKIAと任天堂が共同で開発されていました。申請が2001年11月なので、実際には後述するように2001年の発売は難しいと告知された後に出願されたようです。新聞などの記事では「ゲームボーイアドバンスと携帯電話が一体型になる」という話でしたが、図を見ると登録されているゲームは「スーパーマリオDX」「メトロイド2」「ゴルフ」と、ゲームボーイの作品になっています。ダウンロード用ソフトとしてゲームボーイのタイトルを用意するつもりだったのかもしれません。

最終的に「携帯電話と合体させたゲームボーイ」は2001年の発売を取り下げることになります。理由は以下の通り。

「携帯電話というのは、普通に買うと3万円くらいする商品なんです。それにGBアドバンスの機能を合体させるとなると、4万円近い高額な商品になってしまうんですね。それではゲーム機として、あまりに高すぎるわけで…。なので、一体化するとしてもまだまだ先のことでしょう。ユーザーのみなさんにとっても、価格が高くなるより、5800円のモバイルアダプタGBで遊んだほうがいいでしょうしね。」
(任天堂広報)


結局、携帯電話とゲームボーイを繋ぐものとしては「モバイルアダプタGB」だけが2001年1月に発売されることになりました。ゲームボーイカラーとゲームボーイアドバンスの両方に対応している周辺機器で、有料で「モバイルシステムGB」というネットワークサービスを利用できました。

 

任天堂は1月27日に新聞広告を出して大々的に「モバイルアダプタGB」を宣伝しましたが、あまり普及せずに、2002年12月にはサービスを終了することになります。一時期は合体するとまでいわれた携帯電話とゲームボーイでしたが、モバイルアダプタGBのサービス終了後は、ほとんど関わりをもたず離れていくことになります。

ケータイと一体型のゲームボーイでみられたような「GBソフトのダウンロード」が可能になるのは、約10年後、ニンテンドー3DSのバーチャルコンソールが開始されてからになります。



●ゲームボーイとも関係がある?携帯電話の機能

1.多色展開

携帯電話で初めて機体の色を変えたのは、1995年12月の「ムーバP101HYPER」における限定色・シャンパンゴールド。さまざまな色の機種が発売されるようになるのは96、97年からです。ゲームボーイは1994年に6色のカラーバリエーションを発売していたので、多色展開は携帯ゲーム機のほうが早かったことになります。ちなみに携帯ゲーム機で一番最初に限定色をだしたのは1991年のゲームギア(セガ)のパールホワイト、周辺機器のTVチューナーに合わせたカラーでした。


2.着メロ

1996年に携帯電話から生まれた「着メロ」は当時の流行となりました。このうちメロディを自作する機能は携帯ゲームにもいくつか採用されています。たとえば歩数計の「ポケットピカチュウ」ではメロディを自作してアラームで鳴らすことができます。GBソフトの「川のぬし釣り4」「シルバニアファミリー3」等にも、メロディを自作して鳴らせるミニゲームがあります。


3.振動機能

1994年にシコー技研がモトローラ社に振動モータを出荷したことから世界初の振動つき携帯電話が誕生。その後、1996年10月の「MOVA P201HYPER」で初めてマナーモードが実装されます。1997年にニンテンドウ64の周辺機器として「振動パック」が発売されますが、これはCD用の大きいモータを利用したものでした。携帯電話にも使われるような小さいモータを利用することで、1999年にゲームボーイ初の振動カートリッジ「ポケモンピンボール」が実現しました。



3.カメラ機能

2000年11月に「J-SH04」で初のカメラつき携帯電話が登場しました。このカメラに使われている技術は、1998年2月に任天堂から発売された「ポケットカメラ」と関わりがあります。ポケットカメラに内蔵されていた「人工網膜センサー」は三菱電機の研究者・久間和生氏が売り込んだもので、久間氏は人口網膜センサーをさらに世の中に普及させるため、ポケットカメラの後に携帯電話の企業にも売り込みにいきます。彼が営業活動した結果が、J-フォンの「カメラつき携帯電話」につながったということです。ちなみにポケットカメラの売り上げは世界中で300万個以上とのこと。(参考文献:調べてみよう携帯電話の未来/武藤佳恭著)


4.赤外線通信

赤外線通信は90年前半からPHSやPDAなどに搭載されていました。これを携帯電話に使用する目的でIrDAが発足、IrMCが規格されます。1998年にはドコモから世界初のIrMC対応の携帯電話「Mova 401」が発売される予定でしたが、諸事情より欠番になりました。ゲームボーイで赤外線通信が初めて搭載されたのは、任天堂ではなくハドソンの「GB KISS」で、1997年から配布されて対応ソフトもいくつか出ましたが普及せずに終了。1998年発売のゲームボーイカラーには標準で赤外線ポートが搭載されましたが、こちらもあまり利用されずに次世代機では消滅します。携帯電話においても、2000年時点ではIrDAインターフェースはノキアの「NM502i」くらいでしたが、2001年の「P503i」で赤外線を使った「IrKiss」が標準搭載されると、メールアドレスを手軽に交換できる利点から爆発的に普及しました。ちなみにゲームボーイカラーの赤外線はIrDA規格ではありませんが、SONYのポケットステーションの赤外線はIrDA準拠です。



●携帯電話とゲームボーイの年表


携帯電話 ゲームボーイ
1985 NTT「ショルダーホン」で初のポータブル電話
1987 松下/NECの「TZ-8021」で初の携帯電話
(レンタル契約式)
1989 DDIセルラー「マイクロタックHP501」で初の超小型携帯電話 「初代ゲームボーイ」発売
  急速に小型化、一般に普及
1993 NTT初のデジタル式ケータイ(PDC)
1994 レンタル契約→売り切り制へ 「ゲームボーイブロス」で多色展開
着信バイブレータが登場(外付け振動)
1995 「ムーバP101HYPER」で初の限定色シャンパンゴールド
1996 「N103HYPER」で初の着メロ 「ゲームボーイポケット」で小型化
  「P201HYPER」で初のマナーモード  
1997 「スカイウォーカー」で初のショートメール 「GB KISS」シリーズで赤外線通信
1998 「ポケットカメラ」で世界最小のデジカメ
「ゲームボーイライト」でバックライト搭載
「ゲームボーイカラー」でカラー液晶
1999 NTT「iモード」登場
携帯電話からインターネット接続が可能になる
「ポケモンピンボール」で振動カートリッジ
「F502 iHYPER」で初のカラー液晶
2000 「J-SH04」で初のカメラつき携帯電話 「携帯電話と一体型のゲームボーイを来年に発売する」と発表→中止
2001 FOMA開始、初の3G 「モバイルアダプタGB」発売
  iモードにJAVAが導入されてアプリが動作可能に  
2003 ケータイのゲームサービスが一般化
2004 おサイフケータイ(電子マネー) 「ニンテンドーDS」発売
2008 iPHONE(ガラケーからスマホへ)


携帯電話に近い文化として、1968年から始まった「ポケベル(無線呼出)」がありました。1996年にはユーザー数が1000万人以上となるほどの人気で、ゲームボーイからも1998年に「日刊べるとも倶楽部」というソフトが発売されています。しかし、携帯電話の普及によってポケベルは失速していき、2007年にはサービスを終了しました。



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